2008年04月21日

無駄なこと

訪問ありがとうございます


買い物をするときの 判断基準って何だろう?


昔、上司に言われたことがある

欲しいものを買うのではなく、必要なものを買いなさい。


管理職になり、決裁権をもったときに 特にその基準を意識していた。


導入したものが、かけた費用以上の効果がなく

使われずに無駄になることを考えると、恐ろしかった(笑)


なぜなら、コンテナのかなに、購入したはいいが

使われずに眠っている機械をみていたから。

だれが購入したかを その当時の人はずっと覚えているから。

いろんな苦労がそこにあったから。


改善活動を指導しているときは、必要以上のものを持つことを戒めていた。


たとえば、ボールペン。

通常、黒のペンを何本もっているのだろう?

ほとんどの人が、2本以上もっていた。

が、使うときは一本しか使わないのだ。


必要なときに、必要なものが、必要なだけ
(使うときに、使えるものが、使う分だけあればいい)

余計なものはいらないのだ。という考え方が根付いている。


欲しくても、使い道を考えたときに、使い勝手が悪ければ

それは必要のないものになってしまう。

自分の欲や、自己満足で選んでしまっては、そのものが可愛そうになる



そういう基準で選んでばかりいると、

今度は遊び心がなくなってしまう。


人生は バランスだ

無駄なことも 時には必要だ





君は、無駄なことを

 どう有意義に使いこなしているのだろう?






老子 「足るを知る者は富む」
「自己にうち勝つことが必要であり、自分にうち勝つものが其の強者である」

荘子 「無用の用 」
 「人は皆有用の用を知るも、無用の用を知る莫(な)きなり」

 人が道を歩くのには、足を置くだけの土地があればいい。
 では、足を置くだけの土地を残して、残りの「不用な土地」を奈落の底まで
 掘り下げたとしたらどうなる。
 歩くことは出来ても、そんなことが起こったら、何のために、何処に歩いて
 行くという目的があるだろうか?

 「人が歩く」というただそれだけの単純なことを考えても、無用が支えるこ
 とで始めて有用という意味が生まれるのではないだろうか。
 



Posted by ちから☆  at 03:25│Comments(0)
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